在 宅 介 護 の 日 記

2016年2月1日 転倒により頸髄損傷となった父(受傷時67歳)の看護・介護の記録です。

集中治療室に入る

2016年2月2日

ほとんど眠らず朝。

病院から「集中治療室に入れてもいいですか?」と電話がある。

「お願いします」と返事をして、少し仕事をして病院へ。

手足が動かず、肺の機能も低下している父は、痰が絡んだ時、そのまま詰まって窒息死するリスクがあるとのこと。ICUは看護師の数が多いので、目が行き届きやすいのだとか。

喋るものの、仰向けのまま、手足がまったく動かない父。

救急の部屋から、ICUへベッドで移動する。

 

看護のはじまり

2016年2月1日の深夜に病院から電話。
父が救急車で運ばれたのこと。

病院についたのは2時頃。
本人は検査中で、面会できず。
かと言って帰る訳にもいかず、待合室で待機。

父と一緒にいた人によると、
父は、飲み屋を出たとき、転んで、そのまま動けなくなったとのこと。

検査が終わり、救急のベッドに案内されると、
イタイタイとわめく父がそこにいた。

看護師が、父の腕を持ち、その手を放すと、ドスンとベッドの上に落ちる。

瞬間「ああ、これはダメも知れない」と思う。

詳しい検査は明日以降になるといわれ、帰宅。4時。

自己紹介

2016年2月1日深夜 私の父(当時67歳)は、転倒により頸髄損傷となりました。看護や介護と無縁の日々から一転、いつ終わるともわからない介護生活がスタートしました(2017年4月の今も介護はつづいています。)

・どこまで回復するのか?

・本人や周りの生活はどうなるのか?

公的支援は受けられるのか?

 

受傷当時は、看護に忙しく、心の余裕もないまま、日々が過ぎていきました。

1年経った今、当時を振り返り、また今も続く看護生活を綴ることで、同じように家族の看護をされている方に少しでも、参考になることがあれば良いなと思います。